コラム「夢を抱いて」
2017年11月22日
ライフサポート協会 理事長 村田 進
6年ぶりとなる診療報酬・介護報酬の同時改定を来年4月に控えて、国での議論が大詰めを迎えています。超高齢化の進行による医療・介護等福祉ニーズの増大の一方で、国や自治体の財政赤字が危機的状況の中、制度の持続性含めた改革をどのようにするかが問題となっています。
政府・厚生労働省は、医療・介護サービスを「地域包括ケア」という視点でより効率的なものに改革する一方、地域住民の参画による「助け合い」を強調しています。政府は「地域共生社会の実現」をスローガンに掲げ、これまでの「受け手」と「支え手」を一方通行にする福祉ではなく、地域の困りごとを「我が事・丸ごと」ととらえ、あらゆる住民が役割を持ち、支えあいながら自分らしく活躍できる社会を目指そうとしています。
これに対し、「我が事・丸ごと」は自治体や地域住民への「他人事・丸なげ」だとの批判が上がっています。社会保障予算の削減が本音で、地域に責任を転化して、地域福祉はそのダシとして推進が叫ばれているだけだとの厳しい指摘もあります。これまで「自己責任」を主張してきた安倍政権が、かつて民主党の鳩山政権が掲げた「居場所と出番のある社会」「支え合って生きていく日本」をそっくりまねた「一億総活躍社会」を打ち出してきた経過も踏まえれば、「地域共生」をそのまま信頼できないのは確かです。
ただ、これらの政策の裏にあるものに十分警戒心を持ちつつも、今日の日本の社会福祉にとって「地域福祉の推進」が不可欠であるのも事実です。「地域住民の主体的な参加」や「多様性を尊重する社会」を考える上で、改めて現場の視点から考えてみたいと思います。
高齢者や障害者など生活困難を抱えた人が地域で暮らし続けるために、介護保険法や障害者総合支援法が創設されました。その主眼は、住み慣れた地域で本人が暮らし続けることを支援する点に置かれています。介護保険を例にとれば、寝たきり重度で要介護5の高齢者には1ヶ月当り401,100円(大阪市の例)まで介護保険サービスを使えることになっています。日常生活を継続する上で欠かせない「食事」、「排せつ」、「入浴」等の介助サービスを活用して、どれくらい在宅での暮らしが可能でしょうか?
例えば、毎日朝と夕方の1時間、ヘルパーさんに来てもらって食事と排泄、体を拭く等の介助を受け、毎週1回デイサービスに行って入浴介助と機能訓練をしてもらい、更に週1回訪問看護師に来てもらい褥瘡予防などの手当を受けただけで、介護保険の限度額を超えてしまい、数万円の自己負担が必要となります。もし一人暮らしの場合なら、デイサービス以外の日は、ヘルパーさんが来る2時間を除いてほぼ1日中一人ぼっちで天井を見て暮らすことになります。したがって、寝たきりや認知症の重度になった場合は、いやでも施設に入らざるを得ないのが現実です。
2006年に在宅生活の継続を目指して打ち出された「地域密着サービス」の小規模多機能型居宅介護は、在宅を基本として通いと訪問、宿泊の複合型事業所として奨励されてきましたが、通いや宿泊の定員は制限されており、毎日利用するわけにはいきません。その結果、多くの事業所は利用者の家族や隣近所の住民との関係を密にして、地域での支え合いに頼りつつ支援を継続しています。
地域で住み続けるという誰でもが当たり前に望むことを、税金や社会保険で完全に賄うというのは幻想にすぎません。誰もが必ず老いていくという避けられない現実をふまえるなら、どんな状態になっても地域で支えられる社会を築く過程に地域の住民がしっかりと関わることが必要です。
次に、支援を受ける本人の立場から考えてみたいと思います。
私たちは「自分らしく暮らす」とは、いったいどういう事を指すのでしょうか?元気なうちは好きな趣味や地域での役割に取組んだり、自分のペースで暮らすことをイメージすることでしょう。しかし、認知症で記憶があいまいになったり、体に障害が出て自由に動けなくなったりして、これまで通りの暮らし方に自信が持てなくなった時はどうでしょうか?家族や近隣住民だけでなく、福祉サービスに頼らざるを得ない生活が続く中、好きな趣味に取り組む意欲は薄れ、逆に、支援される身でそんなわがままは言えないと遠慮しながらの日々を送ることになります。また、介護保険サービスが始まって、それまで本人に関わっていた家族や近隣住民がヘルパーやケアマネにお任せして、支援から離れてしまうことが少なくありませんでした。その結果、本人は「お世話される人」として地域から孤立してしまうことになりました。
考えてみれば、人は一人で生きていく事はできません。生れてすぐに母親のお乳を自力で探す動物と違い、人間の子どもは寝たきり状態で、他者の保温と栄養補給なしには生きながらえることができません。周囲の大人の関わりの中で、感情表現や言語を学び、社会のルールを学んで一人の人間となります。
これまで通りの暮らしや地域での役割を果たせなくなっても、その人が人として地域で暮らしていくには何らかの形で地域との関係をつくり、役割を持つ事が大切です。福祉サービスにとっては、支援を必要となった状態で本人が地域の中に新たな関係を結んでいく事を支援することが課題となります。福祉サービス利用の際も、敢えて徒歩送迎をして、地域の店や住民とあいさつしながら通う工夫や、地域のイベントに昔取った杵柄の「おばあちゃんのお漬物コーナー」を設けたり、近隣の小学校へ利用者が絵本の読み聞かせボランティアに訪問したり等、本人の残っている力を活かして地域と繋がる様々な取組みが試みられています。
本人にとって、自分らしく暮らすということが地域でのつながりを抜いてはありえない点に思いをはせる必要があります。
既に、各地で住民による見守り・声かけ活動が活発に行なわれています。当初は義理厄介で地域の「かわいそうな人」の見守り活動に参加したものの、当事者本人と関わる中で、その人が地域で暮らしてきた過去や、現在の住みづらい生活の実態を知っていけば、次第に同じ地域の住民として心を寄せた支援に変わっていきます。支援に関わる住民の意識の変化によって、地域での同じような困難を抱えた人や課題に気がつくようになり、話合いの中から早期発見・早期対応につながるような体験を重ねていくことになります。当然、これらの過程での社会福祉専門職の関わりや支援が不可欠ですが、この結果、地域の福祉力の向上が進んでいきます。
この支援の中で何より目標とすべき点は、これらの関係づくりの体験によって地域住民自身が「自分が将来どんな状態になっても、邪魔者にされずに安心して暮らせる地域の支えがある」ことに希望を持てるようになっていく事です。
地域の問題の解決を誰かに頼んだり、任せたりするのではなく、住民一人ひとりが関わって取り組んでいくことこそが住民自治を育む道だということ、地域福祉の推進はその具体的実践方策ではないかと改めて思います。