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コラム「夢を抱いて」

本人の意思決定を支える

2019年11月26日

ライフサポート協会 理事長 村田 進

突然の死と心温まる見送り

 日曜の早朝、携帯電話の着信音が鳴る。

 「朝早くにすみません。Tさんが部屋で意識不明の状態です。いま救急隊が来ています。」成年後見人として関わっているTさんが入居するグループホームからの連絡に、思わず「ええっ!」と声をあげてしまった。つい数日前にホームを訪れ、「また来ますね」と握手して帰ったばかり。認知症はあるが、これといった病気もないTさんとは「100歳までは長生きしますよ」と笑い合ったところだった。

 死亡理由は「急性心不全」。日曜の朝4時半にトイレに起きられ、「まだ早いからまた寝るわ」と居室に入って行かれるのをスタッフが見ている。その後、6時を過ぎても起きて来られないので、居室に行くとベッドの横に倒れたまま冷たくなっていたとのこと。血管系の何らかの突発事態によって、あっという間になくなられたようで、本人が苦しむこともなかったのがわずかな救いといえる。

 親族との行き来が全くなかったため、施設でお別れ会を開いていただくことになった。デイルームに棺を据えて、スタッフがTさんの好きだった服や歌集、思い出の写真を納めてくれる。ホームの入居者さんが作ってくれたティッシュの花や生花で棺は一杯になった。入居者さんとスタッフみなさんが集まってくれ、一人ひとりからTさんにお別れをしていただく。入居者さんの一人がピアノを弾いてくれ、参列者一同でTさんがよく口ずさんだ歌を唄いながら出棺となった。棺を見送る入居者の一人が「ああ…、こんなにみんなに見送られて良かったなあ」としみじみおっしゃられたのが心に残った。

 市民後見人として受任した初めてのケースだったが、Tさんの支援を通じて多くの貴重な経験をさせていただいたことに心から感謝している。

急がれる成年後見制度の拡充

 2000年の社会福祉法改正で、社会福祉は行政による措置から本人が選択・契約するサービスに大きく変わった。これを受けて、認知症高齢者、知的・精神障害者等の意思決定に困難を抱えた人支える制度として「成年後見制度」が創設された。

 当初、家庭裁判所に選任された成年後見人の9割は親族によるものだったが、制度利用が進む中で親族以外の第三者による後見が8割近くに増えている。この第三者後見の多くが弁護士・司法書士・社会福祉士などの専門職によるものだが、私の様な「市民後見人」も着実に増えてきている。2025年には65歳以上の高齢者の5人に1人が認知症になると予想され、障害者の地域生活移行が進む中、成年後見制度の拡充が急がれている。

 2016年に制定された「成年後見制度利用促進法」に基づき、政府は「成年後見制度利用促進計画」(2017〜2022年)を閣議決定し、市町村と都道府県に地域ごとの後見体制の整備等についての計画策定を求めている。計画が求める成年後見制度の課題には、「後見体制の課題」と「支援の質的課題」がある。「体制の課題」では、地域ごとに成年後見事業を推進する中核機関を設置し、専門機関との連携ネットワークを構築するとともに、市民後見人等の育成が課題となっている。「質的課題」では、財産管理にとどまらず福祉的視点の身上監護(本人らしい生活の確保)が求められている。

 市民後見人の特性は、①市民感覚や目線での活動、②地域の支え合いの延長でのきめ細かい関わり、③ボランティア活動でありつつ、行政と連携した取り組みという点にあるといわれる。ともすれば「権利侵害からの保護」や「基本的ニーズの充足」に止まりがちな専門職による後見活動に比べ、地域で同じ市民としての感覚できめ細かく支援に関わる市民後見人の活動は、「本人らしい生活」と「本人らしい変化」を支える「積極的権利擁護」の役割を果たすものとして期待が高まっている。

市民後見人とは、家庭裁判所から成年後見人等として選任された一般市民のことであり、専門組織による養成と活動支援を受けながら、市民としての特性を活かした後見活動を地域における第三者後見人の立場で展開する権利擁護の担い手のことである。

(「『市民後見人』とは何か」2012年 岩間伸之)

本人らしい変化を支える

 Tさんの支援を通じて多くの体験をさせてもらったが、とりわけグループホームの入所に至る過程での「本人意思の確認」が深い経験であった。

 後見人を受任後、初めてTさんの住む市営住宅を訪問した時のこと。雑然と物にあふれた部屋の一室に、Tさんはこたつに入ってポツンと座っておられた。目の前についているテレビを見るでもなく、不安げな表情のTさんと世間話を始めた記憶がある。かつて宗教団体や地域での役員を長く務めておられたTさんにとって、ヘルパーやデイサービスの利用時以外に人との関わりがなくなった毎日はとても寂しいものだった。誰かを求めて家を出て、帰る道が分からなくなっての徘徊と保護の繰り返し。転倒し、入院しても「家に帰る!」と自力退院してしまうTさんの「自宅」へのこだわりは強かった。

 次第に生活意欲が減退し、配達された夕食弁当が食べられないまま玄関に置かれているのを朝にヘルパーが見つけるという日々が続いた。危険性を増す在宅生活に見切りをつけ、施設への入居が必要と判断はするものの、自宅にこだわるTさんがこの変化を受け入れるようどう支援するかが問題だった。

 Tさんは、かつて役員をされていたため、人の世話や関わりが好きだった。また、夫との死別後、お好み焼き屋を経営していたので、にぎやかな人との交流が好きという特徴があった。そこで、アットホームなグループホームを選定し、「お試し」見学会を企画した。事前にホームに事情を話し、見学当日は昼食にお好み焼きを企画してもらい、早速、Tさんがプロの腕をふるまった。デイルームで他の入居者さんと談笑されるTさんの姿を確認し、数日後には「お試し」ショート利用を開始した。

 ショート利用6日目、デイルームのソファーでテレビを見ながらくつろいでおられるTさんは、カラオケを唄ったり、楽しんで過ごされている様子。「みんな優しいし、にぎやかでええわ」と本人の話。「家とこことどちらがいい?」と聞くと、「ここがいい」との返事。続けて、「ここに引っ越す?」と聞くと、「いや、家は帰らなあかん」とのこと。

 ショート利用3週間目。Tさんと話し合いを持つ。随分馴染まれ、生活を楽しまれている様子なので、そろそろホームへの転居を考えてはどうかと説明。また生活保護では自宅とホームの2軒分の家賃は出ないため、自宅の明け渡し、ホームへの転居を決める時期にきていることも併せて伝えた。Tさんは「自宅を手放すのはいややなあ〜」と言われるが、ホームでの暮らしは喜ばれている。ケアマネや施設長からTさんのこれからの暮らしを考えた時、ホームの方がいいこと、ここではTさんが既に頼られる存在になっていること等、様々に声かけをしてくれる。最後はTさんも「かなわんなあ〜」と悩まれる。

 しかし、話の中で「自宅」が夫と暮らしていた持ち家時代との混乱が見られたので、今の市営住宅をTさんと一緒に見に行くことにした。3週間ぶりの自宅だが、「やっぱり自宅がいい」等の感想もない。大事なものは何かを聞くが、別にないとのこと。仏壇に手を合わせたので、これは要りますねというと、「そうやな」。ご主人が写った昔の写真を指して、この写真は懐かしいですねというと、昔の事を話し始めた。部屋に飾ってある写真を見ながら「この頃は楽しかった」と話される。三味線もケースに入って置かれていたので、これは持って行って弾いてくださいよというと、「また弾かんとな」と一言。

 自宅を出てからTさんが「これからどこに行くの?」と言われるので、お昼を食べにホームに帰りますと伝えると、「ああ、そうか」と笑顔になって元気に歩いて行かれた。

 ホームに転居して2年たってからも、Tさんから「今はホームに手伝いに来ていて、夜になると自宅に帰っている」という話を何度も聞いた。Tさんのこだわりは「自宅」という建物ではなく、自分の暮らした生活自体だったように思う。

 施設に転居したTさんは、思い出の日々の記憶と現在の穏やかな暮らしとを行き来しながら過ごされていた。転居に至る支援が正しかったかどうかは、Tさんが亡くなったいま明らかではない。しかし、訪問のたびに見せてくれた満面の笑顔が、Tさんの穏やかな暮らしに満足されていた証であったと信じたい。