pagetop

文字サイズ:小 中 大

コラム「夢を抱いて」

住民自治の仕組みが地域福祉の未来を決める

2021年5月

ライフサポート協会 理事長 村田 進

 最近、コロナ禍での運動不足解消のため、散歩がてらに大阪の旧街道を歩いています。しかしながら、「だんじり祭り」のある泉州地域の一部を除いて、個性的な街並みに出会うことはほとんどありません。テレビで見るヨーロッパの街歩きで感心するのは、街並みが美しく保存され、行きかう住民が自分たちの街を誇り、そこでのゆったりした暮らしを楽しんでいる姿です。石造りと違って燃えやすい木造中心の日本の街との違いはあるにしても、生まれ育った故郷や今住む街での暮らしを楽しんでいるヨーロッパの人々をうらやましく感じます。

 山崎亮さんの「縮充する日本」(2016 PHP新書)によると、人口減少社会に突入している日本にとって、主体的な「市民の参加」が多くの分野で希望を創り出しているとしています。住民NPOが「創造的過疎」をめざす徳島県神山町の「住民参加のまちづくり」、環境に優しく、社会のためになるかどうかで判断する「エシカル消費」を追求するコープこうべ、情報データーのオープン化で市民が自由に使える「オープンデーターシステム」に取り組むCode for Japan、参加型学習システムを進める「アクティブラーニング」や住民などの多様な関係者が学校を支える「地域学校協働本部」の取り組み、更には「参加型商品開発」や「参加型アート活動」など等。

 山崎さんの本でも紹介されているのですが、私たちの社会福祉分野においても、「地域包括ケアシステム」という形での市民参加が課題となっています。医療福祉の事業者が地域で連携するだけでなく、地域住民による活動と協働して支え合いの地域づくりをめざそうというものです。しかし、肝心の住民が「お客様」になっていたり、事業者が事業収益に熱心で地域連携に意識が低い等の問題が横たわっています。

福祉制度拡充の下での2つの問題

 日本に社会福祉の制度が生まれたのは戦後のことでした。戦前の民間篤志家を中心とした社会事業が、国家総動員法による戦争統制に協力していった点を問題視したGHQは、戦後の社会福祉を「国の責任」としてスタートさせました。しかし、公務員体制が不十分な中、代行機関としての社会福祉法人を認可し、措置制度で社会福祉事業が始まります。高度経済成長期に入り、これまでの地域と家族による自助福祉が限界を迎える中、国は次々と福祉制度の創設に取り組み、行政による福祉サービスの充実が図られました。しかし「国民皆保険・皆年金」が実現し「福祉元年」とされた1973年には、図らずもオイルショックを契機に低成長時代に突入します。財政赤字に直面した国は、「民間活力の活用」を打ち出し、高齢化社会に備えた介護保険制度は、これまでの社会福祉法人だけでなく、株式会社等の民間事業者に大きく門戸を開くことになりました。この間の政策は当時の状況としてはやむをえなかったとしても、2つの問題を生むこととなりました。

 一つは、高度経済成長期における社会問題の解決を「行政の責任」に求めて制度や事業を実現した一方で、市民が「お客様」になって行政に文句を言うだけの存在になってしまったことです。介護保険事業でも、家族や地域住民がサービス事業者に任せっきりにしてしまい、これまであった見守りや心のつながりから手を引いてしまう事態が起こっています。もっとひどいことに、行政自身も福祉の現場から手を引き、サービス事業者にケースを丸投げする傾向が強まっています。

 今一つは、サービス事業者の質的低下の問題です。雨後のタケノコのようにサービス事業所ができ、本人に必要な支援というより、事業所が稼げるプランの優先や不正請求などの問題が多発し、行政による指導や事業停止処分なども起こりました。社会福祉法で福祉を人権として「本人主体の支援」を掲げているにもかかわらず、福祉専門職による不適切な支援が本人に更に多くの困難な状況を生んでしまっています。

当事者参加と住民自治の仕組み

 一般的に、生活に困難な課題を抱えている人々の問題は「社会的課題」として捉えられ、社会的な支援・救済制度の創設が求められます。制度が創設される際、制度対象者を明確にし(対象の限定)、必要な予算的措置を図ります(予算の限定)。そして、制度が実施されていく過程で、制度の枠にはまらない「狭間の人」が生まれます。そこで、新たな「社会的課題」が提起され、次々と制度が創設されていきますが、同様に「狭間の人」が生まれてきます。法律や制度は必ずそのような限界を抱えていると考えねばなりません。

 では、この問題をどうすれば解決できるのでしょうか?

 一つ目は、制度対象の弾力的運用という方法があります。地域密着型サービス事業所を介護保険制度と障害者福祉制度の枠を超えて弾力的に利用できるように工夫している自治体の例があります。

 二つ目は、本人のニーズに沿って様々な制度を適切に専門職がコーディネートする方法があります。地域包括支援センターの活動は、8050問題への対応に見られるように、本来の介護保険制度の枠を超えて障害者や生活困窮者等の家族支援に広げて取り組まれています。

 そして、三つ目に、援助を求める本人が暮らす身近な地域(主に小学校区エリア)で、住民・専門職・事業者等の多様な関係者を巻き込んで支援をつなぐ場と実践です。「地域ケア会議」のように、地域での個別のケース対応を通じて「お客様」になってしまっている地域住民がケースに関わる機会を専門職がしっかりとコーディネートし、サポートすることが重要です。そしてその実践の場は専門職や行政・他機関にとっても協働を学べる場となります。この地域協働の場が「地域包括ケアシステム」となるのですが、これを実現するためには制度として位置づけ、適切にコーディネートできる人材を配置することが何より大切です。

 国はこの間の制度改革の中で、「包括的相談支援」・「住民参加支援」・「住民活動支援」を一体的に取り組む「重層的支援体制の構築」を提案していますが、具体化は各自治体に任せられています。地域は多様で、地域福祉の姿も様々であって当然だからです。そこでいよいよ各自治体のあり方が問われることになります。行政が地域福祉の推進や地域住民の参画を自治体の未来を拓くものと考えるか、それとも従来通り国の定めたことを追認するだけに止まるのかが問われています。

 それぞれの自治体の今日の姿は、その地域の住民自身が行政に求めてきた結果に過ぎません。本当に住みよい街にしていくには、当事者である住民自身が声を上げ、自ら関わる努力が求められますが、同時に、その住民自身が自治体のあり方論議に参画できる仕組みが必要です。地域包括ケアシステムを実行あるものにするためには、各地域で福祉に取り組んでいる様々な当事者が参画し、地域にあった支え合いのあり方(まちづくり)を議論していける「住民自治」の仕組みを保障することが不可欠なのです。

 自治体への地方分権の究極の目的は、地域住民が自分たちの街を誇れるものにしていく過程の主人公になることにあるのではないでしょうか。