コラム「夢を抱いて」
2023年1月
ライフサポート協会 理事長 村田 進
社会には様々な差別や人権侵害の実態があります。当事者とその実態に共感した人々による告発によって社会問題として認識され、国(行政)に制度による解決が求められていきます。訴えを受けた国(行政)は専門家の協力を得ながら法制度の検討に入り、まとめられた法制度を国会(議員)が可決し、行政が具体的な制度運用で社会問題の解決に取り組みはじめます。
ところが、法制度には当初より2つの限界があります。
一つは制度の対象を限定せねばならない問題です。
制度を運用する際、救済の対象を確定する必要があり、当事者を行政が認定することになります。しかし、この認定は、社会問題の現実すべてをカバーできず、多くの対象外の存在を生んでしまいます。その結果、新たな救済措置を求める告発が起こってくることになります。その際、単なる制度改正で済む場合もありますが、担当行政組織の都合で、別の法制度で対応することも多くなります。その結果、「制度の隙間」の問題が起こることになります。
いま一つは予算の限定です。
制度の運用は国会で承認される予算によりますが、多くの課題を抱える予算は国会審議の過程で要望の多い部門に多く割かれることとなります。判断基準は社会的正義というより、関係者の利害や政治力によって左右されます。さらに、国の財政赤字が巨大体化する今日、制度の財源確保は極めて厳しい状態にあるといえます。
「公助・共助・自助」と言われる社会問題の解決手段で多くの役割を占める制度(公助)は、当初より上記の限界を抱えており、必然的に共助や自助との連携が不可欠といえます。
一方、制度による問題解決において、市民の意識の変化も大きな課題です。
社会問題の当初は、当事者の自助や共感する市民による共助が中心で、市民の意識は「人としての尊厳」を守ろうというものでした。それ故、社会問題の解決を「法の下の平等」、「基本的人権の尊重」を保障するものとして国に法制度を求めていくことになります。
しかし、法制度が整備され、行政による運用が始まりますと、市民の意識に変化が起こってきます。運用当初は、それまでの社会意識が強く、制度利用に消極的な傾向もありますが、次第に「権利としての制度」の認識が広まり、制度利用に抵抗がなくなっていきます。
ところが、この「権利」という意識が極端に広がり、制度の運用で社会問題解決をするのが行政の責任という認識で、公助依存が生まれ、それまでの共助や自助にあった崇高な助け合いの意識が後退する事態を生んでしまいます。
そもそも公助のみでの社会問題の解決は不可能で、当事者はもとより、市民自身が積極的に関わる努力が求められます。憲法第12条でも「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」としています。
より根本的に人間とは何かを考えてみますと、もともと、人間は一人では生きていけない存在であることがわかります。
生まれ落ちて1年近くは「寝たきり」で、大人の保温・保水・栄養補給の助けなしでは、1日たりとも生きていけない弱い存在です。ダーウィンの「進化論」を批判したクロポトキンの「相互扶助論」にあるように、生存競争よりも、生き残るために助け合う仕組みこそが、種の進化につながったといわれます。
人をその能力に関わらずかけがえのない存在として尊重すること。互いをかけがえのない社会のパートナーとして助け合う姿こそが「人間らしい」姿であるということです。
改めて、制度を社会問題解決の重要なツールとしてくには、次の三つの課題が必要です。
1つ目は、制度が社会問題解決に対応できているかを評価するための実態調査です。
制度が問題解決に効果を上げているのか、当事者や社会の実態を定期的に調査・分析することが求められます。
2つ目は、制度の運用に当事者や市民が一緒に参加していく仕組みです。
社会問題を告発した当事者や市民の声を聴くだけでなく、運用においても積極的に協力・参画してもらえることで事業効果が高まります。
3つ目は、制度の枠を超えた市民同士の助け合いの活動を支えていく仕組みの必要です。
社会問題の解決は最終的には人を排除せず支えあう社会の実現にあります。そのため、行政には市民の助け合いの活動を積極的に支援し、育む努力が求められます。
社会福祉の法制度では「地域共生社会の実現」という崇高な目標と「重層的支援体制整備事業」という市民活動支援の事業メニューが既に揃っています。
問題は、この制度を自治体がしっかりと理解して住みよい共同体づくりに活かしていけるかどうかにかかています。
今春の統一自治体選挙で選ばれる首長と議員の見識が問われています。