コラム「夢を抱いて」
2024年9月
ライフサポート協会 理事長 村田 進
2021年4月の改正・施行で社会福祉法に「地域共生社会の実現」が明記され、「我が事・丸ごと」の地域づくりをめぐって、社会保障法学分野での論争が起こっています。
従来の社会保障法学の定義では、憲法第25条の「生存権」を根拠として「社会保障とは、国が、生存権の主体である国民に対して、その生活を保障することを直接の目的として、社会的給付を行う法関係である」(「社会保障法読本」荒木誠之2002)としています。
一方、この間の法改正を推進した立場からは、憲法第13条の「幸福追求権」をもとに、社会保障制度を「個人が人格的に自律した存在として主体的にみずからの生き方を追求していくことを可能にするための条件整備」とし、「いま求められているのは、一定の要保障事由が発生した際におけるセーフティーネットの確保にとどまらず、人びとが能動的かつ主体的に生きていくための積極的な公的ないし社会的な支援でもある」と、「社会連帯」を生存権とならぶ社会保障の規範的な根拠ととらえるべきと主張しています。(「社会保障再考―<地域>で支える」菊池馨実2019)
これに対して、熊本県立大学の石橋敏郎教授は、①「地域」という概念はどのエリアを指すのかあいまいで、法的にも明確になっておらず、権利・義務を負うような主体ではない。②公的介護・福祉サービスの一部を住民の互助で代替しようという一方で、国などの財政や人材確保の手立てが不明確な現状では助け合い組織ができるわけがない。③住民の意識改革によって、ボランティア活動が活発になることを期待するだけの地域共生社会構想であるならは、社会保障学の範囲として考えることには抵抗がある等、と批判しています。
従来の社会福祉が国の責任の下で制度化される中、当事者は「保護の客体」となり、受給に当たって厳しい選定条件を受け入れ、社会の恩恵による生活を送ることを求められてきました。2000年の改正社会福祉法は、福祉を権利として規定し、当事者の主体によるサービス選択の道を開きました。
「当事者主体」とは、菊池のいう「個人の自律(autonomy)」を意味し、その人がその人らしく生きていけることを保障することが目的です。人が自分らしく生きていくためには、単なる衣食住のみならず、地域における様々な人との関係性が不可欠です。地域に住む一人の人として、日常生活における様々な場面での役割や関係がその人らしい暮らしを生み出します。そういう意味で、地域共生社会実現に向けた社会保障の新たな展開は極めて重要な意義を持つと思います。
一方で、石橋が指摘するように、地域共生社会構想が、国の財政困難の肩代わりとして地方自治体や地域住民のボランティアに丸投げすることであってはなりませんし、むしろ積極的に市民参加の支援活動への財政的保障や行政的位置づけをすることが必要です。介護保険制度や障がい者支援制度が当事者主体の下、公的支援の後退やサービス事業者への丸投げに流れた過去を繰り返してはなりません。
また、石橋が指摘する「地域」のあいまいさを果たして一つの法制度で規定できるかということにも大きな疑問があります。医療制度の圏域、障がい者支援制度の圏域、教育制度の圏域、介護保険や地域包括ケアの圏域それぞれが存在し「地域」をイメージしており、必要な場面での調整以外に、それを整理するのはあまり意味がありません。
地域福祉を推進する住民活動という点で考えると、歴史的に小学校区をベースとしたエリアが「地域」としてイメージされます。しかし、行政主導で組織されてきた町会や地区社協のような「地縁型組織」は役員高齢化と組織率の低下でその活動は停滞しつつあります。むしろ、菊池が指摘している地域活動を主導してきた「地縁組織」の限界を踏まえて、地域組織がテーマでつながる市民活動を積極的に受け入れ、広がっていくのをどう促進していくかが問われています。
地域住民組織には、社会保障サービスに関わっている事業者や、様々なテーマに取り組んでいる市民活動組織が参画し、従来の地縁組織や住民と協働しながら自分たちのまちづくりを進めていくことが求められており、すべての住民が排除されることなくともに暮らしていける地域をめざしていきたいと思います。
地域福祉や災害時支援などで、ますます地域住民活動の役割はおおきくなっており、法制度上の位置づけも更に明確にされていくことでしょう。行政にはこの活動を様々な形で支援する役割があるわけですが、制度の枠を根拠に一定のパターンを住民活動に押し付けたり、数値目標や結果を強要することはあってはなりません。戦前の国家統制による地域活動の失敗を教訓に、行政は地域住民活動の主体性を尊重し、各地の自由な取り組みを促進する(後押しする)という立場を基本に、積極的な協働に取り組んでいただきたいと思います。