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こんな今月のなごみはあきませんか?

2015年6月

 4月に再び就任いたしますとご挨拶させていただいてからあっという間に6月が過ぎようとしております。

 4月・5月は各地から、いただきものがありました。

 鹿児島から、「げたんは」という黒糖菓子や、さつまいも、「あくまき」をつくる灰汁と笹の葉のセット。昨年の春に、「九州出身の方が、あくまきの話を懐かしそうに話されていた」とお話したところ、覚えてくださっていて、認知症の指導者仲間が送ってくださいました。

 

「げたんは」は、特養で頂き、「さつまいも」は小規模多機能でバーベキューの際につかわせて頂き、メインの「あくまき」は、5月の節句 こどもの日に作らせていただきました。わいわいとつくったのですが、結局のところは、ちょっと灰汁が強くなり、大成功とは言えないできでした。しかし、その過程がとてもあったかくて、人と人とのつながりを感じることができました。

 失敗は成功のもと、次回の楽しみにおいとくこととなりました。

 また、九州、熊本からはご利用者・職員が育てられた、サラダたまねぎを頂きました。大領地域の家 であい・小規模多機能型居宅介護 きずな での日常の料理に使わせていただきました。 すっごく甘かったと評判でした。

 ただ単に、産地の物を送ってくださっているのではなく、私たちの顔を、自分たちの知らない時に思い浮かべてくださり送って下さっていることをおもうと、ほんとありがたく、感謝しております。全国に、ケアの質について、本気で話し合い、実践につなげていける仲間がいることは、なによりの宝でもあります。

 もう1つのいただきもの、このような縁につてついてのお話をお聞かせいただく機会がありました。

 ちょうど 桜の頃に清水寺の大西英玄さん(清水音羽寺の執事補)より、清水寺の夜桜にご招待いただきました。その時、とっても心に響くお話を聞かせていただきました。

 仏さんのお話です。

 まばゆいばかりの桜が咲き誇る中、折角なのでと、寺務所にご案内いただきました。
そこには驚くような光景が拡がっておりました。

 東は 薬師如来・北は 釈迦如来、西は 阿弥陀如来 南は多宝如来と4076の仏絵にに囲まれ 下には 大きな足型がありました。

 そこは・・仏さんの中でしょうか・・・

 「仏さんとはなんなのか、諸説ありますが、こうなければならないということはないということです」からはじまり、対象に対して名前をつけているだけで、自分と向き合うことが仏と向き合うことと一緒なんですとおっしゃられました。

 「仏はわれわれ日常の中にあり、自分自身と向きあうことと一緒。自分自身が、これまでであった人、全ての時間、思い出、いったとこ全て、経験が自分をつくる。

 有名な話ですが、ガラスの器を思い浮かべてください。

 ガラスの器は、どんな風にもなります。水や花で変わります。
 水をいれるとコップになり、 花をいけると花立になります。
 自分単体で、本質を持ちえない、仏教で言うと空とか虚。
 それらの所縁とむきあう。自分は縁の集合体。だから、ひとりひとり違ってていいんです。」

 目に見えない極粒子から、宇宙までの空間のなかで私達は人として生かされている。そんな中、出会ったお一人お一人の存在が、今の自分であるならば、自分たちの支援は、支え支えられる関係であるということ。

 まさしく、パーソン・センタード・ケアのこと。

 パーソン・センタード・ケアというと、本人中心の支援と訳されがちですが、自分の存在に気づき、大切にされているとと自分自身が実感できることでもあります。

 言葉にならないことに向き合っていることが、価値を存在させる意味のひとつでもあること。妙に納得し、自分の中で、つながりました。「支援」は「支縁」なんだと思いました。

 地域との縁。人との縁。社会との縁。様々な方々とのご縁が拡がり、また違った縁となってつながり、日々の支さえあう縁になると思いました。

 つぶやきのような今月のなごみにお付き合いいただき申し訳ありませんでした。

 ちなみに、10月17日(土)には 「老いと向き合う講演会」で、大西英玄さんにご講演いただきます。最期まで地域で暮らす〜その人らし人生とは? 詳しくは後日ご案内いたします。ぜひお越しください!(なごみ総合施設長福留千佳)

最後までご覧いただき、ありがとうございます。
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